日本の貧困

peopleです。

世界の食糧危機問題はいまだ深刻だといろいろな新聞、雑誌などでも目にする機会が多い。でも実際には世界の穀物生産量はそれは足りていて、その食料が行き渡るところが、ある一定地域に偏っているから、きちんと配分できれば世界中の人が食べられる十分な量がつくられていると言われている。それでも、WEBとかニュース、TV特集などでも、世界にはその日食べるものに困っている人が7億人いるといわれている。

世界のどこかでどこかの国の人が困窮していることは知っていても、日本を振り返ってみたらどうなんだろうか?日本にも“その日の食事に困っている多くの人々がいるのをみな見過しているのが現状だという。生活水準の高い国だから、その豊かさに隠れて実は食糧難に陥っている人が自分たちの身近にいるという警告が発せられている。

日本はどこに行っても清潔で、サービスが行き届き、公共乗物は発達し、道路もきちんと整備されている。普段の暮らしを見渡すと、多くの人がスマホや携帯電話を所持し、一応はきちんとした身なりで職場に通い、コロナ禍にある今はひとり一台パソコンを所持し当たり前にリモートワークを行っている。もちろん職場に通いたくても、就業機会に恵まれなかったり、家族の事情で、或いは健康の問題で職場に通えない人もいるが・・・・。

日本の食料廃棄量は年間600万トンを超え、足りないどころかあり余っている印象さえある。だから、貧困について考える機会もあまりないといえる。だからこそ見逃してしまいがちなのが身近に潜む貧困層の存在なのだという。確かに考えてみればって結構思い当たる節があるかと思う。

確かに、貧困という言葉から連想するものは、着るものや住むところがなく、いつもお腹をすかせている様子を想像してしまう。 しかし日本のように豊かな国に存在する貧困層は、きちんとした身なりに関わる被服費や、コロナ禍で急速に整える必要があった通信関連費などに費用があまりにもかかり、食事を削ってでもそれらを優先している“隠れ貧困層”が多いという。生活水準が高い国だからこそ、そこに見合っていない格好をしていると社会的に認められない面があるので食にかける予算を犠牲にしなければならないのだろう。

確かに、特に多いと思われるのは、賃貸住宅に住んでいる一人の勤め人ではないか?もちろんあまり収入の高くない家族世帯でも同じではあると思うが、住宅費を払い、公共料金など必要な経費を払い、被服費やスマホなどの通信関連費を払えば、どうしても食費をギリギリに削らざるを得ないと思います。食料不安を抱えたまま暮らす世帯も大いにあり、日本では7世帯のうち1世帯がそれに当たるとされている。

今はまさに飽食の時代と言われる。飢餓は遠い国の話と考えがちだが、社会の一般的なレベルに追いつこうと、食以外のことを優先した結果、深刻化しがちなのが先進国の飢餓問題だという。このため本人が自身を貧困層だと自覚していない場合もあり、適切な支援が受けられなかったり、徐々に体調不良に陥ったりするという問題も起きているのだそう。

何か豊かと感じている人からの救済手段はあるのだろうか? 身近なのは、NPOやNGO団体を通じて援助をすることもあるし、団体によっては直接お金以外に未開封・消費期限内の食品を募っているところに食べ物を持ち込む、また子どもたちに食事をふるまう子ども食堂などもあるという。団体に所属しなくともサポートできるところが多いと聞いている。「もうお腹いっぱい」「余っちゃった」……そういって捨てている食べ物は、どこかの誰かが食べたくても食べられなかったかもしれない大切ないのちの糧になるという。難しいですね。