people 東日本大震災からの「復興」を掲げて誘致した五輪

福島県南相馬市で生まれ育ったSさんは、妻と4人の子供達と一緒に戸建て住宅で暮らしていた。事故時、市は市内全域の住民に避難を呼び掛け、スーパーもコンビニも閉まって食料が手に入らず一家も避難、新潟県を転々としホテルの提供期間が終わると長岡市の一軒家へ移った。避難世帯用の住宅で、家賃9万円は公費で賄われた。政府と福島県がその住宅提供を打切ったのは2017年3月末、「2020年東京五輪」の開催決定から3年半後、本番に向けた準備が本格化し始め「除染などの生活環境が整ってきている」という理由だ。

一家は戸惑った。家賃が自己負担になる。1人当たり月10万円だった東電の賠償金は2012年に終わっている。「南相馬市に戻ろうか」と子供4人に言ったが、4人とも「友達と離れたくない」と拒んだ。事故以来、各地を転々とし、友達とは離れてばかりで、もう転校はさせられない。 

それに、故郷は戻れる状態ではなかった。事故から2年後の春、自宅の雨どい付近で放射線量を測ると、毎時11.49マイクロシーベルト。事故前の空間線量の230倍もあった。「もう帰って来れない」と思ったという。月9万円の家賃も払えない、郷里の自宅にも戻れない。50歳を超えていたSさんにとって、新たな職探しは楽ではなかった。  結局、長岡市では安定した就職先が見つからず、1人で南相馬市に戻り、除染作業員として働くことを決めた。子供達のおむつ替えから炊事、洗濯などを担ってきたSさんが、初めて子供達と離れて暮らすことになった。

110815_1146

2017年6月。除染作業の初出勤を控え、家族と別居する前日の夜、長岡市の避難先住宅で4人の子供達に夕ご飯を食べさせ、皆が自分の部屋に戻っていった。Sさんも自分の部屋に戻ると、入ってきた中学3年生だった長男R君が「お父さん、もう(南相馬に)帰っちゃうの」と言う。いつもは言わない言葉だ、変だな、と思った。   「うん、来週から仕事だからね」「いつ帰ってくるの?」「まだわかんない」 いつ帰ってこられるか、実際に仕事に就いてみないとわからなかった。その4日後。南相馬での初出勤の日、まだ眠っていた早朝に携帯電話が鳴った。妻からだった。「Rが死んじゃってる」。  長岡に戻り、通夜の席では、女子の同級生3人が「お父さんが大好きだって言ってました」「一緒にいられなくなって寂しいって」と言っていたが、遺書はなく、本当の理由はわからない。

その後Sさんは妻と離婚し、1人で南相馬市に戻っている。「自分のせいだ」と自らを責め、うつになり、半年ごとに入退院を繰り返す。重度精神障害相当の人は全国平均の2倍近い  原発事故に関わる、深い心の傷――。避難指示が出た12市町村などの約20万人を対象に福島県が毎年実施する健康調査(2019年)によると、回答者3万人のうち、5.7%が重度精神障害相当となった。 さらに帰還困難区域の住民と原発周辺の年間世帯所得600万円以下の被災者に対して継続されていた医療費の一部負担金免除措置も打ち切られようとしている。

彼らの避難生活はもう10年以上。見えないところで、彼らは今も、経済的にも身体的にも、そして精神的にも追い詰められている。

今年6月下旬、浪江町。居住が禁じられている区域だ。一部エリアでは今も除染が行われているが、10年以上も無人が続き、どの家も木や背の高い草に覆われてしまった。 大会組織委員会が2020年12月に公表した東京五輪の予算は1兆6440億円にもなる。国や都の「関連経費」を合わせると、全体では3兆円を超えるという。かたや「復興五輪」の“地元”である被災地向けの予算は、2021年度からの5年間で計1兆6000億円になる見込みだという。2020年度までの5年間では計6兆5000億円だったから、約4分の1に激減。

国際オリンピック委員会のバッハ会長は、福島市で7月28日に開幕する野球で始球式を行う予定だという。バッハ氏はインタビューで、東日本大震災の被災地での開催は「甚大な被害を受けた町や地域の復興を示すことになる」と語った。フレコンバッグの集積場などを見ることも、避難者の肉声を聞くこともなく、「復興」を口にし、駆け足で福島を去っていくのだろう。

被災地では故郷にも戻れない、仕事も得られない、住むところもない。こういう一家離散になった家族はさぞ多いことだろうと思う。でも国や自治体はすべてこういうものには蓋をしてしまう。四捨五入の世界だ。そして、まずオリンピックだって。国民の命は私が守る。もう聞き飽きた、むなしいむなしい言葉として。