(神戸新聞の記事から)花火大会に訪れた子供ら11人が亡くなり、247人が負傷した2001年7月の『明石歩道橋事故』から今日21日で20年となるという。事故には大変、胸が締め付けられるようなことがあったんです。今年20歳になったS君は事故のことは何も知らない。小さい頃から母親から「助けてくれた人がいるから、あなたがいる」と聞かされてきた。この親子には、2度にわたって救いの手を差し伸べてくれた恩人がいるという。1度目は事故の現場で、自らの命と引き換えに。そしてさらに、2度目は世間からのバッシングに悩まされた日々に。
20年前、お母さんは生後2カ月足らずだったS君と歩道橋崩落で群衆の雪崩に巻き込まれた。手からベビーカーが離れ、病院に搬送されたという。息子の無事を知ったのは搬送先の病院だった。助かった経緯を聞いたのは取材の記者からだという。事故で亡くなった71歳のご婦人が人波に押しつぶされそうなベビーカーからS君を抱き上げ、近くの人に手渡して力尽きたという。
事故の後、S君の母親は「生後間もない赤ちゃんを連れて行くなんて」「これだから若い母親は」と責められたという。亡くなったご婦人の夫(2015年に死去)が会いたがっていると聞いても、「大事な人を奪った自分がどんな顔をすれば」と気が重かったという。対面したご婦人の夫の方は「生きていてくれただけで十分」と笑顔で言葉を掛けてくれた。「ありがとうございました」。そう返すのが精いっぱいだったお母さんの、ぎゅっとなっていた心がほぐれた瞬間だったという。
事故後の10年間、ご婦人の命日は歩道橋で一緒に手を合わせたという。S君にとっても写真の「おばあちゃん」の話を初めて聞いたのは小学5年の時だという。お母さんも苦しまれたのでしょう。S君は「自分は死んでいたかもしれない」と考えたことを覚えている。中学生になると、生まれたばかりのまだ首が据わらない妹を抱っこした。ご婦人から幾人もの手を渡ったという自分を想像した。「大事に扱ってもらったんやな」。記憶にないはずのぬくもりを感じたという。事故に遭ったことは周囲に隠さない。「おばあちゃんの命と引き換えに僕はここにいる」。生かしてもらった感謝の気持ちがあるから素直に思えるという。