People 7人に1人が直面する子どもの貧困

日本の子どもの「7人に1人」が貧困状態にある。その生活実態は見えにくくもある。10代男性、Aさんは幼児期に両親が離婚。自らは小児がんを患い、5歳ごろまで病院での入院生活を余儀なくされた。病状は快方に向かい、小学生からは父・妹と3人でアパート暮らしを始めたが、そこで貧困の現実を知った。 看病に追われた父は仕事を辞めていて、アルバイトで家計をやりくり。その後、正社員となるが月の手取り収入は13万円で、「ご飯は出ていたが、おもちゃなどは買えなかった。小学生の頃はそれで友達との縁も離れていった。さらに苦しんだのが、父の厳しい生活指導。家事や生活態度で納得をさせられないと、手が出たり物が飛ぶこともあった。Aさんは反動で高校生の頃には非行に走ってしまった。高校2年生の時に児童相談所に保護され、仲介をしてもらい、親子で本音をぶつけたところ、父は長らく体調が思わしくなく、自分が死んでもAさんが一人で生きていけるように厳しい指導をしていたことが分かったという。

「経済的余裕がない=ご飯を食べさせられないとなると、親も追い詰められて子どもの変化や話したいことを見たり聞いたりする余裕がなくなる。一時の感情に身を任せてしまうことが多くなるんです。それを見て育った子どもはいろいろと遠慮したり、『自分は嫌われている』というマイナス思考にもなる。親との距離や関係も崩れてしまうと思います」

20代男性、Bさんは小学1年生まで、両親や3人の兄弟と幸せに暮らしていた。経済状況も普通だったが、その夏に父がクモ膜下出血で倒れたことで人生が一変。 母はBさんの妹を出産したばかりで、ショックでうつ状態に陥った。一時、離散せざるを得なくなったという。 その約2年後には同居できるようになったが、家計は母一人が支える状態。母は非正規雇用のため、月の手取り収入は13万円程度。その生活は過酷を極めたという。そんな貧困の影響を深刻に感じたのが、学生時代。カードゲームなどの話にはついていけない。遠方への遊びに誘われてもお金ないため、当日はそのたびに「寝坊した」ごまかしたという。

さらに、影響は学業面にも。高校時代には授業料免除となる成績を残さなければいけないという重圧を感じていた。 Bさんは大学の入学試験に合格したが、学費を払うことができない見通しとなり入学を断念。苦労して進学した。しかし、ここでも貧困に悩まされる。大学進学後も家計の余裕のなさは変わらず。家にお金をいれなければならない状況だったため、月に120~140時間ものアルバイトに追われた。3年次には1人暮らしを始めたが、ここから予定は大きく狂ってしまう。学費面等から休学したが、その後に除籍処分を受けてしまった。現在は契約社員として働きつつ、再入学して大学を卒業することを目標としている。

そんなBさんは、子どもの貧困が見えにくいのは、周囲への言い出しにくさが影響していると指摘する。 「子どもの貧困は公に『自分の家はこうなんだ』と話すことができません。僕もずっと隠してきました。話せないというか、話したくないというか。何かを話して『この人みじめな人間なんだ』みたいなレッテルを貼られるのが嫌なんです。貧困の認知が進まない、見えにくいのはそんなところもあるのだろう。子どもの貧困は精神的・肉体的に厳しいものがある。いまは自助の認識が強いが、身近な見守りや地域的つながり、行政の声などで、公助につなげる環境づくりをしていかないと。

子どもが貧困を打ち明けるのは「自分の状態を認識する」認知と「それを言語化する」表現が必要だという。10代20代の若者には難しいことだ。周囲には、そうした子どもたちがいることと、貧困の原因が単純化できないことも理解してほしいという。貧困を抱える家庭はたとえ経済状態を何とかできたとしても、生活面で頼れる存在がいないという。社会福祉法人やNPO法人でも来年度には担当者がいなくなる可能性もある。地域に根差した人がいないので信頼関係を結ぶのも難しいし、家庭側も、いきなり来られて制度を使いなよ、などと言われるのもつらいものです。地域の助け合いも消えているので、行政だけ、民間だけではなく国全体で考えていく必要があると思う。