アメリカ同時多発テロ

peopleです。航空機がビルに突入する――そんな信じられないことが現実になったのが、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。もうあれから今年で20年になるのですね。世界中の人々が嘘ではないかと驚き、TV画面にしがみついて見入り、しばらく間をおいてから2機目の航空機が突入した瞬間に驚愕に落ちたあの時。

NYにあるワールドトレードセンターのノースタワーと隣のサウスタワーに朝方、ハイジャックされた航空機が連続して突入した。多くの人が犠牲になり、今もなお、悲しみが癒えない事件で誰も忘れられない事件です。

今回紹介する杉山陽一さんは、当時の富士銀行のニューヨーク支店に勤務していてこの事件に巻き込まれてしまった。夫人の晴美さんは、9月11日の朝、テレビの画面で夫がいるはずのビルに航空機が突入し、崩落するのを目撃した。さらに、このビルに支店があった富士銀行の多くの行員が無事と言われた中で、杉山さんは行方不明者としてニュースで名を呼ばれた。

杉山さんの遺体は長らく見つからなかった。すでに2人の子供さんが居られたが、三人目のお子さんが3月に誕生し、杉山さんの遺体(一部)は4月に発見された。すでに半年が過ぎ去っていた。杉山さんのお父さんは今なお遺体の他の部位を求めて、毎年NYに出かけておられるようです。杉山さんは夫人が母ひとり娘ひとりの事情があって、養子縁組はしていないが「杉山姓」を名乗っていたという。

ただお父さんの意向もあり、杉山さんの遺骨は実家の先祖代々のお墓に収められたという。
但し杉山さんは夫人、お子さんとばらばらになること、どう思われたであろう。日本とは違って、アメリカには骨ではなく灰をペンダントに詰めてくれるサービスがあり、小さなペンダントヘッドに杉山さんの灰を入れることができたという。子供たちにひとつずつ、夫人の分、4つの小さなペンダント。子供さんたちが巣立つ時、手渡してあげるという。その日まで、そのペンダントは杉山家の位牌代わりで、家族を守ってくれるという。夫人はきっと杉山さんもこの決断を許してくれるであろうと信じることにしたとのこと。

本当につらい決断だったと想像されます。
かつて、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」を読んだことがある。航空会社の内情を描いた作品だが、1985年に起きた日航ジャンボ墜落事件。500名以上の方が犠牲になった国内史上、最大の航空機事故である。この本は5巻に分かれており、墜落現場の状況になんと1巻分を割いている。そのためその情景描写が詳しく細かく書かれており、そのすさまじさに読んでいた電車の中で思わず零れるほどの涙を流したことがあった。

それほど航空機事故の現場は凄惨、痛ましくて人間の体がほんの一部しか見つからない場合が多いという。日航ジャンボ墜落事件も アメリカ同時多発テロ もまだまだ遺体も見つからずに苦しんでおられる方が多いのだろう。果てしなく続く苦しみかもしれない

アメリカ同時多発テロの杉山さん、 どうやらこのビルの人々が避難している最中に、「危険なのは隣のビル、2ワールドは安全なのでその場にとどまるか職場に戻ってもよい」とのアナウンスが入ったとのこと。
それとなにより9月のこの時期。杉山さんの仕事の量は半端でなく多かったという。休日も出勤になるだろうと杉山さんは言っていた。安全だというアナウンス、そして多忙な仕事。
このふたつの理由で80階という高い場所へと戻っていったのだろうという。

杉山晴美さんの手記
一度避難していた?「アメリカ同時多発テロ」行方不明の夫の「当日の行動」(杉山 晴美) | FRaU (ismedia.jp)

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5月, 2021 / 苦しい時代に聴きたい安らぎのMUSIC、哀しみ切なさ優しさを唄う – Page 8 (sutekinapeople.com)

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