ひまわりのような女性の死

2012年5月9日のこのブログで書いた大林三佐子さんの死が何とも心から離れないし、波紋を呼んでいるようです。若いころから夢を持ち、誰にも迷惑をかけないように一生懸命に生きてきたこの女性に対する無慈悲な行いがあまりにも悲しすぎた。このキラキラした瞳を見ていると胸が痛みます。18歳未満一律10万円給付ではなくて、こういう人も助けてあげたいと切に願う。

2020年11月16日午前4時ごろ、東京都幡ケ谷のバス停のベンチに座っていた路上生活者の大林三佐子さん(当時64歳)が頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。ペットボトルと石が入ったポリ袋で大林さんの頭を殴って死亡させ、酒店従業員の吉田和人被告(47)が傷害致死罪で起訴された。事件後、路上生活者のグループなどが「彼女の死はひとごとではない」と訴える抗議デモも行われた。

かつて劇団員として活動し、アナウンサーになる夢もあった大林さん。事件当時の所持金は8円で、親族の連絡先が書かれたメモ用紙も持っていたが、連絡した形跡はなかった。「なぜ助けを求めなかったの?」。何十年もあっていなかったという弟(63)は姉に問いかける。

広島市で生まれた。1学年上の姉は明るく活発で、自立心が強い性格だった。市内にある中高一貫の私立女子校に通い、高校時代は友人を自宅に招いて悩みの相談に乗るなど、友達思いな一面もあったという。同市内の女子短大に進学し、卒業後は結婚式の司会などの仕事をした。「アナウンサーを目指して教室に通っていたが、なかなかハードルは高いようだった」。27歳で結婚したのを機に上京したが、約1年後に暴力が原因で離婚して広島に戻り、パソコンの使い方を教える仕事に就いた。30歳ごろに再び上京し、ソフトウエア関連の会社に勤務した。

生活は徐々に苦しくなっていった。複数の人材派遣会社に登録して、都内のスーパーで食品販売員などの仕事をしていたが、2016年ごろから杉並区の自宅アパートの家賃を滞納するようになり、17年に強制退去させられた。20年2月にはコロナの影響で勤めていたスーパーの販売員を辞めた。

同年春ごろから、運行終了後の深夜から未明にかけ、渋谷区幡ケ谷のバス停で仮眠を取る姿が目撃されていた。事件数日前には、通りかかった女性が上着やマフラーを渡そうとした。しかし、優しい笑顔で「私は大丈夫」と断ったという。

生活保護の申請もしていなかった。「一人で何とかしようと、誰かに迷惑をかける自分を許せなかったのかもしれない」。弟は、都会の片隅で路上生活をしながら、決して助けを求めなかった姉の気持ちをこう推察する。大林三佐子さんは20代前半の頃、広島市内の劇団で活動していた。劇団主宰の光藤(みつふじ)博明さん(71)は「彼女がいると周りも明るくなるヒマワリみたいな存在。きれいな声をしていて、声優を目指し『お金をためて東京に行きたい』と話していた」と振り返る。

ニックネームは名前にちなんで「ミッキー」。「ミッキーマウス」がプリントされたTシャツを着て笑顔を見せる写真も残る。1977年の公演パンフレットには演劇への思いを記していた。

「人の気持ちというものは、自分が同じ状態にならない以外は、理解し難いものであり、全く自分の経験しない人生を送った人物に成り切る事は非常に困難だけど、少しでもその役に近づく事がひとつの大きな課題でもあり、新しい自分の糸口であると思います」

光藤さんは、誰にも助けを求めず、路上生活を続けていた大林さんについて「気遣いができるから他人に迷惑をかけないようにしていたのだろう。心が痛む。」と悔やんだという。

コロナ時代の哀しみ

5月, 2021 / 苦しい時代に聴きたい安らぎのMUSIC、哀しみ切なさ優しさを唄う – Page 8 (sutekinapeople.com)