朝起きて、窓を開けてみたら5月のとても暖かい日差しの中で心地よい風を感じて、一年中がこんな季節であったらいいなと思いながら、こういう季節の中をよくコテと歩いたことを思い出して、外を眺めていた。あの頃は2時間でも3時間でもコテの行きたい方向へ歩いて行ったものだった・・・・。
いつでもコテとの散歩は長時間で、散歩が好きな子だったから、行きたいように自由にさせていた。近くに坂をゆっくりと上っていく大好きな道があって、そこを上って小さな山道を通りすぎ、さらに裏山を降りていくような長い道で、そのコースで行くと2時間はかかったが、行きたいように行かせていた。帰りの坂道で「ハイ写真を撮るよ」っていうと、コテは立ち止まって、こちらが振り向いて構えると、いつものように写真の顔になってくれた。賢いワンちゃんでした。
コテが亡くなってこの5月26日でちょうど一年になる。

窓を開けて、いくつもいくつもそんな思い出が巡ってくるうち、涙が止まらなくなり、かなわないことだけど、もう1度だけでも、もう1度だけでもいいから一緒に散歩したいという思いが溢れてきた。少し変でしょうが、元気なころから、いつもこの子は絶対に死なないと思い込んでいたようでした。
最後の2年半は目が見えなくなってしまい、可哀そうなことをしてしまったと思っている。辛かったと思います。運動をしないと体が弱ってしまうので、生きられる時間が短くならないように、自分が家にいる日は300mくらい先の公園に連れていき、花壇などを避けて公園の安全な場所を歩かせていた。
次第に公園まで道を歩くことは目が見えないので怖かったのか、嫌なようだったので、ベビーカーを買って、それに乗せて公園まで行くようになり、公園ではコテひとりで30分くらい同じところを廻るように歩かせていた。目が見えない筈なのに行き帰りに途中の景色を気持ちよさそうにベビーカーから首を動かせて眺めているように見渡していた。公園の中では人がほとんどいなくて、コテはいつも自分一人で歩いていた。今、ビデオを見てもいつも一生懸命歩いていた。弱ってきても切ないくらい一生懸命歩いていましたよ。
家の近くまで帰ってくると帰ってきたと分るのか、なぜか「ワン、ワン」と大きな声で鳴くようになって、最初はその意味が分からなかったが、家にいる家族に「帰ってきたよ」と教えていたことに気が付いた。それでも一生懸命に生きていましたね。だんだん弱ってきて、食べられなくなり痩せてきて、流動食から、注射器での飲み物だけとなり、5月に入ってから公園には行けなくなりました・・・。16歳でした。

今朝、窓を開けて涼しい風を感じていると、コテとの思い出がいくつもいくつも巡ってきて、胸が締め付けられる思いでした。ありがとう、コテ。楽しかったころの思い出は勿論だけれども、目が見えなくなってからの3年間、一緒に頑張った時の頃を考えると、家に来てくれてありがとうとしか言えないですよ。よくあの公園でコテが頑張って歩いた後、ベンチで抱っこして青い空を二人で見上げたよね。ほら飛行機が飛んでいるよって言うと、目が見えないのに一緒に空を見上げていたよね。もう一回あの時が来ないかな。ねえコテ。
今でも公園の横を通り過ぎる時、公園の中を覗き込んでしまう。もしかして歩いているかもしれないって探してしまう。でもいないね。
いつか、どこかでポツンと道端に立っているよね、コテ。いつかどこかに立っているよね。