金融機関に勤めていたことがある。大阪に転勤になった。大阪から通えるところということで、京都に部屋を借りた。京都の九条だったので大阪の支店には50分くらいで通えた。関東の人は中々そういうわけにはいかないケースが多い。
九条の大石橋というところだったので、京都駅まで歩いても10分ぐらいで行けた。近くには東寺とか東福寺などの有名なお寺が存在した。
初めて京都へ行ったのは中学校の修学旅行の時、高校も同じく京都と奈良というコースだった。その前から少ないながらも漠然とした京都への憧れはあったが、修学旅行で行って以来、京都という地にどんどん引き込まれていった記憶がある。高校の修学旅行ではなぜか新幹線で全員が京都の手前の米原で降ろされた記憶がある。事前に知らされていなかったので意味がよく分からなかったが、同じ学年の中に彦根の井伊大老の直系の子孫が居られて、その関係で彦根城に立ち寄ることになったのだが、きっと大変な名士だったのでしょうね。
高校の修学旅行で行った神社や寺で一番心に残ったのが白川一乗寺下り松にある石川丈山で有名な「詩仙堂」であり、その時以来#詩仙堂 の魅力に取りつかれ、何度も何度も訪れることとなった。ゆったりとした坂を少し上ると右側にある奥深い立派な寺と庭園。
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「毎日の喧騒からのがれ、心のやすらぎを求めるため来られる方が多い」と住職が言われる通り、広い縁側に腰をおろし、江戸時代、#石川丈山 という武将・文人がここで過ごした頃に思いを馳せ、四季の移り変わりを映しているという庭の花に目を奪われ、鹿おどしの心地良い音を聴きながら、いつまでも長い時間を過ごしていたいと思う神聖な場所でした。今までにこんなに心の落ち着くところはなかったと高校生だった自分も感じていたようです。大学生時に訪れた時は2時間くらいじっと瞑想にふけりながら座っていたと思います。
京都というのは何故、こんなにも人々から愛されるのだろうか?想像するに、これだけ多くの歴史的な建物や店、住まい、空間を持ちながら、#現在という時代に溶け込んで 自然な形で同居しているからではないのだろうか?街を歩いていても遥か遠い時代の生活や生きざま、風習がそのまま空気として感じられるからではないだろうか?京都にいる時は雑念失くして心の底から安らぎを覚える。大学生になった時に一人で旅をして、電車から京都駅のホームに降り立った時に「京都に来たんだ」となぜか体中に鳥肌が立ったことを今でもはっきりと覚えている。

その時の旅で初めて行った#哲学の道 、南禅寺、#永観堂 のあたりを新鮮な気持ちで歩いていたことをいつまでも覚えている。今にしてみれば、まさに京都の代表的な散策ルートで珍しい場所ではなかったのでしょうが、すべてが新鮮で、こんなところは他には絶対ないだろうと感じた自分には衝撃的でした。それは何年経った今でも思っているし、変わらない。
そのころの#京都駅 は今の近代的なステーションではなく、まさにどっしりとした歴史を感じる『京都駅』であった。鳥肌が立ったのもまさに『京都駅』だったからだと思う。

別に批判をするわけではないが、京都駅が立て替えられて現在の近代的な姿を見た時は複雑な気持ちではあった。それ以後も京都は近代化が進んで、かつて京都ホテル(現・京都ホテルオークラ)の高層化の話が持ち上がった時には、景観を損ねるとして仏教界が反発して同ホテル宿泊者の寺への拝観を断る立て看板を掲げたようなこともあった。ただそれを機会に京都市では京町家などの街並みや景観を守るために、2007年から建物の高さを制限する#新景観政策 を実施してきたという。
ここ何年かは海外からの観光客が急増して、外資による小規模ながらも近代的なホテルを次つぎと建てることが行われているようだ。ただその近年の高級ホテルの参入によって、地域公共財の囲い込みの傾向が一般化するような形になり、京都固有の景観や美しささえ一部の観光客にしか経験できないものになりかねないという危惧があると言われている。哀しいですね。
同時に、観光客需要が急増したことで町の姿、特に都心の表通りに面さない内側の地区で変容したものも多い。#錦市場 は今世紀初め頃から急速に店舗が入れ替わり、主流であった乾物屋、鮮魚・精肉店の多くが姿を消し、観光客向けの店舗に代わっっていった。また、錦市場は料亭などへの卸機能を持つ商店も多かったが、その多くで錦小路に面した店舗を観光客向けに改装したものが目立つという。今や錦の商店街はほぼそれまでの地元の商店街としての姿を失ってしまったような感である。

京都は観光業の量的拡大で混雑現象を引き起こし、続く富裕層限定の戦略で都市の魅力を切り売りするような形に変貌しつつあると言われている。先ほどの#小規模高級ホテル の出現などにもみられている。京都は、このような消費者都市ではないと思うし、京都は常に「住んでみたい町」として最上位にランクされている。京都をそのような地位に押し上げている最大の理由は、他の都市では決して味わうことのできない京都の景観や文化が醸し出す雰囲気、魅力であることは間違いない。
この魅力を求めて、多くの人は京都に向かうのである。恐らく京都に住んでられる方には感じ得ない京都への憧れを持って、向かうのであろう。いつまでも京都は京都であって、多くの歴史物、習慣を失わずにあこがれの京都であって欲しい。それは多くの日本人が願っている事であると思う。
