
夕方5時半なのに、まだ薄明かりが残っていた。1年の内でだんだんと昼が長くなっていくことを感じる時期で、一歩一歩、確実に#春が近くなっている 事が身に染みてくる。そしてもう少し経って月の半ば近くになると、ヒヤッとする空気の感覚と何となく暖かくなる感覚が同居するのが心地よく、何故だか高校生の頃から2月という時期を意識するようになって、#一番好きな月 になった。
それでも、その心地よい時期の後でも、時々は冷たい雪が降ったりして内心がっくりすることもあった。学生の頃、そんな春の始まりのころになるとバスに揺られて湯島天神の方にぶらっと出かけたり、足を延ばして上野の不忍池のあたりを歩くのも好きだった。上野、浅草というあたりはいわゆる古い歴史の街で、どちらかというと下町風情が漂った場所です。

育ったのが新宿区の早稲田のあたりだったので、近くの街というとあの新宿とか池袋とかの賑やかな場所が多かったけど、どちらかというと上野、浅草、神保町とかのやや一歩下がったようなところが好きだった。アルバイトをよくしていたのも、そのあたりが多く、家具組合が湯島に合って、学生のころは夏や冬の休みになると友達を誘ってそこへ通ったものだ。夏と冬の2回に亘って幕張メッセでその家具組合主催の全国の家具展示会があって、そこでも多くの友達ができたのもいい思い出。
20歳のころ、品川の#ティ-ルーム でバイトしていて、大学の春、夏、冬の休みにその店で1年くらい働いていた。ティールームと言っても、結構食事もできて、料理される人が4~5人、まかないも4人くらい居て、よく昼食に作ってもらったメンチカツが好きだった。その年の忘年会に10人くらい出席して、みんなで騒いで楽しい会であったが、それまで日本酒を飲んだことがなく、勧められるままに大酒をして、更にウイスキーなんかも飲んで、生まれて初めて泥酔状態になった。あまり#泥酔状態 になったことはないけど、それは人生2度だけの泥酔の1度目だった。信じられないほど目が廻ってしまい、気持ちも悪かったので、終わってからとても乗り物に乗れるような状態ではなく、かといって泊まるような場所を探せる状態ではなく、仕方なく品川から歩きだして、家まで向かったようであったが、なんせ家は早稲田だったので、正気の沙汰ではないだろう。グルグル目が廻っているような状態なので正常な感覚ではなかったのだろう。

しかもその日は結構冷たい雨が降っていて、足元もふらついていて、今考えたら恐ろしい光景だったかもしれない。どこをどうやって歩いて行ったのかをはっきりとは覚えてはいないが、何度も何度も転んでガードレールにぶつかったことや、東京の大通りで目が廻り、信号が左右に大きく揺れていて自分の渡る方が「青」なのか「赤」なのか分からないのに困惑したのを、何故か覚えている。そういう状態で品川から早稲田まで夜中に8時間くらいかかって帰ったと思うのですが、今考えるとよく帰れたなと不思議でしょうがない。よく車に轢かれたりしなかったものだと考えるとぞっとする。
酒を飲んで翌日、記憶がないという人がたくさんいますが、自分はそういうことはなく、#酔っても覚えている人間 ですが、さすがにその日は初めての大酒で、信号が分からないほど目が廻るのと、かなり気持ちが悪かったので全くどうしよもなかった状況でした。そんな状況であるのに今でもうっすらと覚えているのも我ながらなぜだろうと思ってしまう。
今、昼間でも品川から早稲田まで歩いて帰れと言われても恐らくは難しいだろうし、時間もかかるし、道に迷うだろうけど、泥酔してて何も考えずにいたことと、信号の恐ろしさなどで足の向くまま帰っていったのだとは思われるが、もう絶対に二度とはできないでしょう。
最近の大学生は泥酔などということはあまりないと聞いてるが、かつての大学生は結構飲む機会が多く、羽目を外す機会も多かったように感じる。#時代によって考え方も行動も違うのは当たり前 のことなんだろう。でも「Z世代はお酒をほとんど飲まない」ということはないらしい。昭和〜平成に根強かった「飲みニケーション」のような文化には距離を置いているかもしれないし、上下関係に縛られた飲み会や、深夜まで酔い潰れるような宴席を“ダルい”と感じる若者も少なくないんでしょうね。

でもお酒をまったく飲まないわけではなく、自分が心地よいと感じる相手や空間でなら、むしろ積極的に楽しむというZ世代ならではのスタンスがあるようですね。
それはきっと、コロナ禍の影響もあったのでしょう。
外出自粛や会食制限により、強制的に“飲みに行かなくてもいい”日々が続いた結果、「今日は飲みたい気分だから飲む」「この人たちとなら飲みたい」といった選べる飲酒スタイルが当たり前になったということみたいですね。
