Bon Jovi Ⅵ

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アルバムにともなった『ニュー・ジャージー』
ツアーでは、当時リッチーに「あとは月にでも行って、プレーするしかない!」と、言わすほどの超過密ツアーで、全232公演(455日間で)全世界37カ国をまわり、地球を約3周するほどのなツアーを行うが、この事が後に大きな影を落として行く。

延々と世界各地をサーキットした『ニュー・ジャージー』ツアーが終了する頃には、気力や体力は極限状態で、メンバー間の人間関係までもが悪化する。ツアーによって全世界に己の存在を誇示し、アルバムセールスや観客動員の記録を次々に塗り替えた功績とは裏腹に、メンバーたちは大きな代償を背負う事になる。
それまでには無かったものがエゴと言う形で表面化し、ついにはバンド活動を一時休止するという最悪な決断を下してしまう。

しばらく活動しない間に、ジョンはソロ活動に力を注ぐようになり、映画「ヤング・ガン2」用に曲を提供する。『ブレイズ・オブ・グローリー』(全米3位のヒットをするにもかかわらず、ジョン曰くこれはソロ・アルバムではない)アルバムと同名のシングル曲は
「リヴィン・オン・ザ・プレイヤー」の記録を破る500万枚以上の好セールスを上げ、バンドの危機をよそにジョンの評価はますます高まっていったのだ。ジョンに遅れ、リッチーもソロ・アルバムに着手するが、この時にバックについたのがボン・ジョヴィのデヴィッドとティコであった。皮肉にもこの2人がリッチーに協力したため、あたかもボン・ジョヴィが分裂
したかのように見え、一部ではジョンとリッチー間の確執を報じる記事まで目にするようになる。
それからしばらく、ボン・ジョヴィとしての正式なコメントがなかったため、解散のウワサは常に流れつづけていた。そんな中、遂にジョンから正式なコメントが入るが「’90年末に来日公演を行う。・・・しかしこれがボン・ジョヴィにとって最後かもしれない!?」
と、意味深な発言をしたため、今までの名バンドがそうであったように、このボン・ジョヴィも頂点を極めると後は落ちるだけなのかと、ファンは嘆くことしかできなかった・・・。

’91年末、日本での単独公演以来、約1年振りに、メンバー5人が集まり地元でのクリスマス・イベントにボン・ジョヴィとして久々の復活ライブを行った。そこで彼らは、「アルバムのレコーディングに入り、ニュー・アルバムをリリースする!」と、これまでの
解散説を払拭し、ファンにとっても嬉しいニュースを伝えたのだ。

ジョンは「2年間、メンバーそれぞれが別々のことをやってきたけど、バンドがバラバラになったわけじゃない。何が何だか混乱していただけなんだ。結局大切なのは、俺達の心は1つだということだ。」さらにリッチーも「長いツアーの後、少し休む必要が
あったんだ。自分を見失っていたから・・・でも、わかったんだ。一番大切なのはボン・ジョヴィが存在し、アルバムを作り続けることなんだってことが。」ビートルズのレノン&マッカートニーに肩を並べるとも言われるくらいに成長した最高なソングライティング・
チーム、ジョン&リッチーの復活である。(せいいちさんの評論参考)

ボン・ジョヴィ『Bon Jovi / 夜明けのランナウェイ』 解説:デビューアルバム

(udiscovermusic.jp)

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