Bon Jovi Ⅲ

peopleです

当初のバンド名には、今までの「ザ・ワイルド・ワンズ」や「ジョン・ボンジォヴィ&ザ・ワイルド・ワンズ」と名乗るなど、いまひとつ決めかねていたそうだ。そして結局のところ、ジョンのイタリア系の名字である「ボンジォヴィ」をアメリカ風にアレンジした
「ボン・ジョヴィ」に落ち着いたのである。イタリア語では“グッド・ライフ”の意味もあるそうだ。

デビューアルバム『BON JOVI』(夜明けのランナウェイ)は1984年2月にリリース(米国)される。
デビュー当初はまだ無名のバンドであったため、観客からは冷たいブーイングを浴びたり、ワゴンの荷台に寝泊りをして各ライヴ会場をまわるという散々のものであったという。しかし、日本でデビューする’84年5月頃には、「スコーピオンズ」のサポートとして、
アリーナ級の全米ツアーを周ることになる。
また同年、派手な外見とは裏腹に、耳に残るキャッチーでストレートなメロディを持つ彼らが、徐々に日本で話題になりはじめ
(夜明けのランナウェイのカバーがドラマ主題歌に起用された)、「スーパー・ロック’84イン・ジャパン」のスペシャルゲストとして、初来日を果たす。

同フェスにデビュー間もないバンドが起用されるのは“まれ”なことだ(このスーパー・ロック~には、スコーピオンズ、ホワイトネイク、MSG,アンヴィルなど、名高いバンドが参加していた)。
この時のステージをきっかけに、彼らボン・ジョヴィの名が売れ出し、日本ではデビューアルバムがゴールド・アルバム(50万枚)のヒット作になるほど人気が高まった。このデビュー作は、アルバム・カヴァーにあるように、まだ“ジョンのバンド”的な側面があり、バンドの音としては、よく言えば若さ溢れる、悪く言えば荒削りでまとまりには欠ける、未完成な作風の感は拭えない。

帰国後、リハーサルを経て「キッス」のサポート・アクトとして、ヨーロピアン・ツアーを同行、その後セカンド・アルバムの制作に取りかかる。’85年の早々から、デビューアルバムのプロデューサーでもあった、ランス・クインが所有するスタジオにて、
レコーディングは行われたが、この間メンバーには、離婚やガールフレンドとの別離を経験した者もいた。
特にジョンは、ハイスクール時代からのガールフレンドであった、ドロセアとの別れ(後に結婚するが)があり、この時の想いがアルバムの曲に反映されていると言われている。

Bon Jovi – Always (Official Music Video) – YouTube

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