Bon Jovi Ⅱ

peopleです

この時代に在籍していたバンドが、A.C.E.時代のメンバーが中心となって結成された「ザ・ワイルド・ワンズ」である。
このバンド時代に、ジョンはデビューアルバムに収録されることになる“Runaway”(夜明けのランナウェイ)を作っているが、バンド自体は評価するに値しないと酷評されていた。   その後、ジョンのいとこのトニーの進めで腕利きのミュージシャンが集められ、
’82年6月にジョン・ボンジォビとしてのデモ・テープをレコーディングする。
そして、新たにジョンは「ジ・オール・スター・レヴュー」と言われるセッション・バンドにも参加する(この時のメンバーに現ベーシストのヒュー・マクドナルドも参加している)。この「ジ・オールスター~」と併行して、依然「ザ・ワイルド・ワンズ」での活動も行っていたが、どちらもこれといった反応は得られなかったようである。

失意のジョンに幸運の女神が微笑んだのは、デモ・テープを売り込み中にデヴィッド(key)と滞在していた、(LAメタル・ムーヴメントが起こりつつある)ロサンゼルスを訪問していた頃で、ニューヨークのラジオ局が主催したコンテストをきっかけに「Runaway」がオンエアーされはじめたのだ。
そのうちニューヨークを中心に、その他の同系列ラジオ局にも広がり、全米各地へと「Runaway」が流れはじめた。これをきっかけにレコード会社も注目し、1983年7月1日、ついにポリグラム・レコードとメジャー契約を交わす(当初の契約はジョン個人と結ばれた
ものであった)ことになる。

当時のバンド「ザ・ワイルド・ワンズ」には、ジョンとデヴィッドのほかにティコ・トーレス(現dr)、オリジナルメンバーのアレック・ジョン・サッチ(b)が加入していたが、ギタリストは定まっていなかった。そんなある日、ライヴを観に来ていたある男が、ジョンに強気な言葉をかけたと言う。「いまのギタリストより俺のプレーの方がうまい! 俺がこのバンドのギタリストになればベスト10バンドになれる!」

この強気な発言をした彼こそが、現ギタリストでボン・ジョヴィ加入後ジョンの右腕として活躍することになる、リッチー・サンボラである。彼は、後に「このバンドには何か足りないモノがあると思った。何だろうと考えてる内に俺だと言うことに気付いたんだ」と、語っている。デモ・テープを聴いたジョンは、リッチーのプレーを聴くなりすぐにバンドへの加入を要請、ここにボン・ジョヴィの最初のラインナップが完成する。

ボン・ジョヴィ『Bon Jovi 2020』激動のアメリカを〈歴史の証人〉として記録した待望の新作を紐解く | Mikiki

一人暮らし向けおしゃれインテリア家具通販サイト【6JOHAN】